fc2ブログ

天国に届くといいなぁ 

自分のすむまちでおきた給食アレルギー死亡事故 できることはないか考えています

0

『慟哭 小説・林郁夫裁判』 〜私がサリンをまきました〜 を読んで 後編

●林郁夫さんと知り合うことがなければ、私は入信することも、罪を犯すこともなかった

私の関心は、医師である林受刑者がオウムに入信した経緯だった。「慟哭」には、彼の後を追うように入信した愛人の看護師についての記述もあった。思った通りだ。林受刑者と同じように、真面目で純粋な女性のようだった。なぜ、この人が?どうして、途中で引き返さなかったのだろう?そう思わずにいられない。真面目で純粋だからこそ、道を踏み外したのだろうか?




彼女が看護師を志望するようになったのは、小学生の時。たまたま見舞いに行った病院で、優しく頼もしい看護師に出会ったことがきっかけにだった。中学を卒業すると、5年で正看護師の資格が取れるという理由で、私立高校の衛生看護科に進学する。希望通り、20歳で国立療養所病院に採用された。最年少だったそうだ。


ところが、このことが不幸をもたらす。配属先の循環器病棟の医長が、彼女の運命を変えた林夫受刑者だったからだ。やがて彼女は林夫受刑者と不倫関係に陥り、彼の勧めでオウムに入信出家する。


この元看護師の女性は、初公判で裁判長に許可をもらい、林受刑者に対しての想いを述べている。


「私がオウムに出家したのは、林郁夫さんの勧めがあったからです。林郁夫さんは、人生はどうあるべきかなど、物の見方などを話してくれて、尊敬していました。しかし、林郁夫さんが犯した罪は許せません。林郁夫さんと知り合うことがなければ、私は入信することも、罪を犯すこともなかったのです。そのことを思うと、後悔しきれません。己の心の弱さを実感するだけです」



●末期がんの多い病棟に移され無力感に苛まれ、心が消耗していった

第2回公判では、彼女は出家した理由を語っている。林受刑者が出家のため病院を退職した後、彼女は末期がんの多い病棟に移された。彼女は無力感に苛まれ、心が消耗していったという。


「一ヶ月に5人も死亡するのを看取りました。その時死について考え、『自分には何ができるだろう』と悩んだのです。林郁夫さんに会って相談したら『生命は輪廻転生で生まれ変わる』と強く出家を勧められました」



この時、彼女はまだ25歳だった。もしももっと社会に揉まれていたら、林受刑者の言葉に流されなかったかもしれない。


●麻原彰晃のように「魂の救済活動」のようなスケールの大きな救済活動がしてみたい

「慟哭」にはオウム出版の「心の流浪の果てにーーいまなぜオウム真理教なのか?」の一部が引用されていた。林受刑者は、オウムにとってうってつけの広告塔だったのだろう。彼は国立病院の医長という立場を捨て、オウムに出家した心境をこのように語っていた。


「我々のような心臓外科の手術の場合、予測もしなかったものが出てきたら、それは即、死に繋がるんです。しかも、対象のほとんどが40代、50代であって、その一家にとって大事な人ばかりですから、手術を境に死なせてしまったら、その人たちに申し訳ないじゃないですか。だから準備に関しては、本当に慎重に慎重を重ねて、万全の体制でやっていましたよ。ただそれでも何人かはやっぱり死んでしまうんです。万全の体制でやっても、何人かは死んでしまうんです。専門的な話になりますが、バイパスそのものは通っても、心筋がダメだったり、逆に心臓マッサージをしながら手術しているような人が助かったり…」



林受刑者は、理屈では割り切れない不思議な力が作用していると思えるような場面に度々遭遇するうちに、麻原彰晃が行っていた「魂の救済活動」のような、スケールの大きな救済活動に惹かれたといったという。


似たようなことは、東大病院の救急医だった矢作直樹医師の「おかげさまで生きる」にも書いてあった。


私も高度医療で救命された患者だ。友人の小児科医は、私と息子の姿を見て涙ぐんだことがある。何故、涙ぐむのか問い詰めたら「大丈夫だと励ましたけれど、本当は今のように生きている確率は、3割ぐらいしかないと思っていた」と言われ驚いたことがある。


そのような経験をした私でも、林受刑者と元看護師が理解できない。現代医療に限界があったとしても、罪もない人たちの命を奪う理由にはならないからだ。真面目で実直かもしれないが、人として一番大切なものが、決定的に欠落しているようだ。


●がんなどに苦しむ患者を見るにつけ、早く解脱したいと考え焦るようになった

「慟哭」には、他にも林受刑者の弱さを裏づけるエピソードが紹介されていた。特に、彼が仏教に傾倒していった経緯は人物像を知る上で興味深かった。


林受刑者が仏教にのめり込んだのは「解脱」を求めたからだった。彼は阿含宗の前身「観音慈恵会」に入信していたことがある。ところが、「がん」などに苦しむ患者を見るにつけ、早く解脱したいと考え焦るようになった。解脱こそが問題解決の方法、手段であると信じていたからだ。医師でありながら、現代医療に無力さを感じていた林受刑者は、次第に、「解脱し納得したい。皆にわかりやすく説いて回りたい」と渇望するようになった。


そんな時に、たまたま手に取ったのがオウムの麻原彰晃著「超能力・秘密の開発法」だったという。林受刑者は麻原が最終解脱者だと知り衝撃を受けたそうだ。


(アマゾンで林受刑者が衝撃を受けたという本を見つけました↓)
超能力「秘密の開発法」―すべてが思いのままになる! 単行本 – 1986/3 麻原彰晃著 アマゾン
2018-7-10.png



この本に限らず、オウムが出版した本は、林受刑者がこれまで読んだ仏教の本とは違い、斬新だったという。大きく違うのは、「修行のノウハウ」「信者の体験談」など、わかり易く、具体的に伝えている点だった。林受刑者は本に掲載されていた麻原彰晃の発言から、オウムは修行のノウハウを持っていると確信したという。林受刑者は自らも修行しており、麻原の発言と、自分の経験とを照らしあわせ、そう確信した、ということだった。


ただ、私にはこの辺りから、林受刑者の気持ちが理解できなくなってしまった。


林受刑者が宗教に惹かれたのは、彼が患者を思う誠実な医師だからだろう。でも、良いと思ったら簡単に飛びつき、それしか見えなくなるなんて、浅はかだとしか思えなかった。「インタビュー」や「体験談」で信用したり、「すぐに解脱」や「ノウハウ」などに惹かれるなら、もともと医師に向いてなかったんじゃないかと思う。そもそも、「超能力を持つこと」「解脱をすること」、そして多くの人を救う「魂の救済」は、それぞれ別次元の話だと思うからだ。



●林郁夫受刑者の私選弁護人は、殺害された坂本堤弁護士の同僚

そんな林受刑者だったが、逮捕後の取り調べの過程で、初めて自分の罪(現実)と向き合うようになっていく。そして裁判ではオウム真理教が派遣した弁護人を解任し、「オウム真理教被害対策弁護団」に弁護を強く依頼するようになった。


●いわゆるマインド・コントロール下にあったとしても、規範意識が皆無になっていたわけではない



私選弁護人は横浜弁護士会に所属する武井共夫弁護士だった。武井弁護士は殺害された坂本堤弁護士の同僚で、「オウム真理教被害対策弁護団」の中心メンバーという立場だ。武井弁護士は「意見陳述書」で弁護を引き受けた理由をこのように述べている。


「被告人はマインド・コントロール下にあったのだから、刑事責任は軽減されるべきとの考えがあるが、当弁護人はあえて主張しない。もちろん被告人は、騙されてカルト教団に入信させられた被害者であり、だから等弁護人は、被害者救済の一環として弁護を担当している。

たまたま被告人は、教団内で指示されて犯行に加わった。一般信徒との違いは、指示があったかなかったかだけである。それでも当弁護人は、そのことだけをもって弁護することをよしとしない。

なぜならいわゆるマインド・コントロール下にあったとしても、規範意識が皆無になっていたわけではない。したがって本公判において、第一にオウム真理教の指示によって犯罪が行われたこと、第二に被告人が本質を知らないまま入信・出家して教義を盲信して犯行に加担したしたことが明らかにされないといけない」



●いろんな人に育てられて医師としてやってきたのに、その知識や経験で仮谷さんを死亡させた

産経新聞によれば林受刑者は法廷で、「いろんな人に育てられて医師としてやってきたけれど、そういう知識や経験を使って仮谷さんを死亡させた」と言い、「私はもう先生じゃない」と声を荒げたという。


「慟哭」からも罪を犯したことを心から反省し、被害者やご遺族の方々への懺悔の気持ちが伝わってきた。


林受刑者は死刑を免れたというけれど、死よりも辛い、生を生きているんじゃないかと思う。


林受刑者がかつてあれほど渇望した「解脱」とは、今のように現実から逃げないことだったんじゃないだろうか?

コメント

非公開コメント
My profile

Author : サクラ47

2002年に手のひらにのるほど小さな男の子を出産しました。それから11年。医療と教育がもっと連携できないか試行錯誤してきました。コマーシャリズムとどう付き合うか悩み、一時挫折。もう一度がんばってみようと思うようになり、ブログをはじめました。

プロフィール

Author:サクラ47
2002年に手のひらにのるほど小さな男の子を出産しました。それから11年。医療と教育がもっと連携できないか試行錯誤してきました。コマーシャリズムとどう付き合うか悩み、一時挫折。もう一度がんばってみようと思うようになり、ブログをはじめました。

カテゴリ

月別アーカイブ

全記事表示リンク

検索フォーム

カレンダー

02 | 2024/03 | 04
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: